本能寺の変『明智光秀』
織田四天王の一人であり本能寺の変の主謀者「明智光秀」。
光秀は織田信長に仕えるまでは各地を転々と流浪していた。
しかし、織田家に仕官してわずか1〜2年で信長の厚い信頼を得ることに成功している。織田家の譜代でないにもかかわらず短期間で他の織田四天王と肩を並べるほどに昇進できたのは、明智光秀が優れた武将だったからに他ならない。
しかしながら、なぜ本能寺の変を引き起こしたのかは戦国時代最大の謎である。
詳細情報
- 生没年:1528年?月?日〜1582年6月13日(享禄1〜天正10)
- 出身地:美濃国(岐阜県)
- 肩書き:武将
- 通称:十兵衛、惟任日向守
- 別名:キンカ頭
- 幼名:彦太郎
- 官位:従五位下、日向守
- 享年:55歳
年表
- 1528年:近江国に生まれる
- 1568年:朝倉義景に出仕
- 1570年:越前攻めに参戦
- 1575年:惟任姓を賜る
- 1579年:丹波を平定する
- 1580年:丹波亀山城主となる
- 1582年:本能寺の変を引き起こし主君織田信長を討つ。しかし山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れて、敗走中に殺害される。結果的には三日天下となった。
明智光秀肖像画
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